長時間労働は、数字として語るときほど、当事者の実感から遠ざかりやすい。月の残業時間、違反が確認された事業場の割合、是正勧告の件数。どれも重要だが、それだけでは、仕事の終わりが見えない夜や、休むべき日に連絡を待つ緊張、記録に残らない準備や片付けまでを描き切れない。だからこそ公的な監督結果は、単なるランキングや景気の指標ではなく、働く時間を社会がどう扱っているかを点検するための入口として読む必要がある。
厚生労働省は九月十五日、令和七年度に長時間労働が疑われる事業場へ行った監督指導の結果を公表した。対象は、各種情報から一か月当たり八十時間を超える時間外・休日労働が見込まれる事業場や、過労死等に関する労災請求が行われた事業場などである。監督を実施した二万九千百五十事業場のうち、一万千二百二十八事業場で違法な時間外労働が確認され、是正・改善に向けた指導が行われた。これは、無作為に選ばれた全国のすべての職場についての割合ではない。長時間労働が疑われるという情報をもとに選ばれた対象における結果である。この限定を外して一般化しないことが、数字を誠実に読む第一歩になる。
そのうえで、この公表には見過ごせない重さがある。違法な時間外労働が確認された事業場のうち、最も長い労働者の時間外・休日労働が一か月八十時間を超えた事業場は四千九百九十一、百時間を超えた事業場は二千八百四十二だった。さらに、健康障害防止措置が未実施だった事業場は五千九百十九、健康障害防止のための改善指導を受けた事業場は一万二千八百十一にのぼる。働く時間の問題は、単に忙しいかどうかではない。法令の順守、賃金、健康配慮、記録の正確さが、同じ職場で重なり合う問題として現れている。
監督結果は「氷山の全体像」ではない
この種の資料を読むときには、二つの短絡を避けたい。一つは、監督対象で違反が見つかったからといって、すべての職場が同じ状態にあると考えること。もう一つは、対象が絞られているからといって、結果の深刻さを小さく扱うことだ。前者は統計の対象範囲を忘れた読み方であり、後者は、実際に行政が確認した違反と改善の必要性を見えなくする読み方である。公表値が語っているのは、疑いのある職場を監督したとき、労働時間と健康保護に関する問題がどのように確認されたか、という具体的な事実である。
むしろ注目すべきなのは、監督が労働時間の長さだけを見て終わっていない点だ。公表資料には、賃金不払残業が確認された事業場、健康障害防止措置の未実施、労働時間の把握が不適正で指導を受けた事業場も記されている。これは、長い時間が存在したという一つの結果の背後に、誰がいつ働いたかを正しく把握する仕組み、時間外労働に見合う賃金を支払う仕組み、負荷が高い人の健康を守る仕組みが、それぞれ問われていることを意味する。
職場の現実では、これらは別々の担当部署や別々の帳票に分かれがちである。勤怠は人事、業務配分は現場、健康相談は産業保健、予算は経営、取引先との納期は営業というように、責任の置き場が分散する。しかし、働く人にとっては一日の生活のなかで一続きだ。終業時刻が後ろ倒しになれば、睡眠、通勤、家族との時間、通院、食事、休息の余地が同時に圧迫される。制度を分けて管理する都合が、生活に生じる負荷の一体性を見失わせてはならない。
数字の中心にいるのは、最も長く働いた人である
今回の資料は、違法な時間外労働があった事業場について、実績が最も長い労働者の時間数を区分している。この表現は、平均値だけでは把握しにくいリスクを考える手がかりになる。平均が落ち着いて見える職場でも、特定の人へ業務が集中していれば、その人の負担は見えにくい。繁忙期の対応を担う人、顧客の窓口になる人、引き継ぎの穴を埋める人、専門性ゆえに代替されにくい人など、長時間が一部に偏る経路はさまざまである。
もちろん、資料だけから個別の職場で何が起きたかを推測することはできない。だが、最も長い人の時間を確認する設計には、時間の総量だけでなく偏りを見ようとする意味がある。管理者が部署全体の平均残業時間だけを眺めて安心するなら、最も負荷の高い人は平均の影に隠れる。残業の削減を掲げるなら、平均、中央値、繁忙期、職種ごとの違い、そして個人への集中という複数の見方を組み合わせる必要がある。数字を増やすことが目的ではない。誰の時間が限界に近づいているかを早く見つけるためである。
労働時間の把握が不適正として指導を受けた事業場が四千四十五あったことも、この視点とつながる。記録が実態に追いつかなければ、長時間かどうかを議論する出発点そのものが揺らぐ。自己申告、端末の利用時刻、入退館の記録、会議の予定、業務の依頼など、職場には時間に関する情報が複数ある。どれか一つを万能な証拠と扱うのではなく、記録と実際の仕事のずれを点検し、働いた時間を働いた時間として扱う運用が求められる。
是正勧告はゴールではなく、再発を防ぐための起点
違法な時間外労働が確認されたとき、行政による是正・改善の指導は不可欠である。法令を守る最低線が曖昧なら、職場の交渉力が弱い人ほど不利益を受けやすい。監督は、個々の働き手が一人で言い出しにくい問題に、公的な基準を持ち込む役割を果たす。その意味で公表された結果は、行政が何を確認し、何を改善対象としているかを社会に示す資料でもある。
ただし、是正勧告が出た後に帳票を整えるだけでは、問題の根を残す可能性がある。業務量、納期、必要な人数、引き継ぎの設計、顧客対応の時間帯、会議の多さ、決裁の遅れ、急な欠員への対応。長時間労働は、こうした仕事の設計と運営のなかで生じる。記録を正すことと、仕事を減らすことは同じではない。前者は必須だが、後者や分散、優先順位の見直しまで届かなければ、時間は別の場所へ押し出されるだけになりうる。
国際労働機関が二〇二六年に公表した心理社会的な労働環境に関する報告書は、仕事の設計、組織と管理のあり方、仕事量、自律性、労働時間の取り決め、公正で透明な手続などを、職場環境を形づくる要素として挙げている。この整理は、長時間労働を本人の段取りや根性の問題に還元しないために役立つ。仕事が多すぎるのか、優先順位が共有されているのか、断れる余地があるのか、評価が時間の長さを暗に報いていないか。問いを個人の努力から組織の設計へ移すことで、対策の選択肢も広がる。
「早く帰る」だけでは測れない
長時間労働の対策は、退勤時刻を早める合言葉だけで終わらせない方がよい。短時間で成果を出すという目標は魅力的に聞こえるが、業務量や人員、品質の条件を変えずに時間だけを縮めれば、見えない持ち帰り仕事、休憩の削減、記録外の連絡へとしわ寄せが移るおそれがある。ここでも資料にある労働時間把握の問題が重要になる。時間を削る施策が、実際に負荷を減らしたのか、それとも記録の形だけを変えたのかは、働く人の実態と記録の双方を確かめなければ判断できない。
反対に、すべての残業を同じように扱うことも現実に合わない。突発的な障害対応、災害、季節的な需要、医療や福祉などの継続性が求められる仕事では、計画通りに進まない局面がある。だから必要なのは、例外を見つけたら例外のまま常態化させない管理である。予測できる繁忙を予測可能なまま放置しないこと、突発的な負荷が出たときに誰が支援に入るかを決めておくこと、休息を回復できる形で確保すること。時間外労働をなくすという抽象的な宣言より、負荷が生じる場面を具体的に扱う方が、日々の運用につながる。
また、柔軟な働き方を長時間労働の万能薬と考えるのも慎重でありたい。場所や時刻を選べることが助けになる人はいる一方で、仕事の境目をあいまいにする場合もある。連絡を受け取れる状態が続けば、画面の前にいない時間まで仕事の緊張が残る。柔軟性を導入するなら、いつ連絡するか、返答をどこまで求めるか、緊急の定義をどうするか、記録をどう残すかを同時に決める必要がある。制度の名前よりも、実際に休息が守られる運用かどうかが問われる。
労働時間管理を、対話の道具にする
監督結果を読む側にとって大切なのは、違反した企業を眺めて終わらせないことだ。自分の職場に引き寄せれば、確認すべき問いはいくつもある。勤務時間の記録は、始業前の準備や終業後の連絡を含めて実態を映しているか。忙しさが集中する時期と部署を共有できているか。業務の優先順位を上司と相談できるか。休憩や休暇を取ることが、周囲への負担の押し付けとして扱われていないか。体調に関する相談が、評価や配置への不安なしにできるか。これらは特別な福利厚生ではなく、仕事を続けるための基盤である。
経営や管理の立場から見ても、労働時間は後追いの報告数字ではない。仕事の需要と供給が釣り合っているか、特定の人しかできない作業がどれほどあるか、意思決定が滞っていないか、会議や報告が目的化していないかを映す信号になりうる。長い時間が続いたとき、個人の能力や意欲を理由にしてしまうと、仕事の設計を改善する機会を逃す。労働時間の記録を監視の材料だけでなく、負荷を調整するための共通言語として扱うことが望ましい。
その際、数字を現場への圧力に変えない配慮もいる。たとえば残業時間の目標だけを強く掲げれば、申告を控える誘因が生まれるかもしれない。残業を申告した人が非効率だと見られる文化では、正確な記録は育たない。時間の短縮と、記録の正確さと、仕事の質と、健康への配慮は、競合する目標ではなく、同時に設計すべき条件である。難しいからこそ、現場の声と管理の責任を分断しない対話が必要になる。
改善を続けるための具体的な視点
では、職場は何から着手できるのか。第一に、業務を時間の長さではなく、発生の仕方から確かめることが考えられる。毎週決まって生じる作業なのか、月末や年度末だけに集中するのか、特定の顧客や案件で急増するのか、急な依頼が連鎖しているのか。負荷の発生源が分かれば、対応にも違いが出る。定例作業なら手順の整理や自動化、繁忙期なら前倒しの準備や応援体制、突発対応なら優先順位を切り替える権限と連絡経路が必要になる。長時間という結果だけを見て、同じ対策を一律に当てはめるより、仕事が増える地点を言葉にする方が、無理のない改善に近づく。
第二に、管理職だけに調整能力を求めすぎないことである。人を増やす、受注を調整する、納期を交渉する、担当を替える、休息を確保する。いずれにも権限と情報がいる。現場の責任者が残業を減らそうとしても、目標や予算、取引条件が逆方向を向いていれば、判断は孤立する。経営層、人事、現場、産業保健、従業員の代表が、それぞれの情報を持ち寄れる仕組みが必要になる。責任を曖昧にするためではなく、仕事量の決定が一人の善意に依存しないようにするためだ。
第三に、相談の入口を複数にしておくことも欠かせない。長い勤務が続く人が、直属の上司にだけ相談できるとは限らない。業務上の関係や評価への懸念があれば、言い出しにくさは増す。人事、産業保健、労働組合や従業員の代表、外部の相談窓口など、立場の異なる入口があることで、情報が一つの関係に閉じ込められにくくなる。ただし窓口を掲げるだけでは足りない。相談の内容をどう扱うか、誰に共有されるか、相談したことで不利益を受けないかを明確にし、実際に利用できるものにする必要がある。
第四に、改善の評価を残業時間の減少だけで終えないことだ。時間が減っても、休憩を取れなくなった、仕事が一部の人へ偏った、品質確認の時間が消えた、家で対応する連絡が増えたという状態なら、問題は形を変えただけかもしれない。反対に、業務の優先順位が明確になり、不要な手戻りが減り、引き継ぎが機能し、休暇を取りやすくなったなら、数字にはすぐ現れなくても改善の土台はできている。定量的な記録と、働く人が感じる負荷の両方を確認する姿勢が、表面だけの達成を防ぐ。
ここで重要なのは、働く人に自分の時間を細かく証明させることが対策の中心にならないようにすることでもある。正確な記録は必要だが、記録の責任を個人だけに負わせれば、忙しい人ほど記入する余裕を失うという矛盾が起こる。制度を設計する側は、記録に必要な手間そのものが過剰になっていないか、記録された情報が実際に負荷調整へ使われているかを見なければならない。把握することと、改善することが切り離されない運用にして初めて、記録は現場を守る道具になる。
公表を一過性の話題で終わらせないために
厚生労働省は今後も長時間労働の是正に取り組み、十一月の過重労働解消キャンペーン期間中に重点的な監督指導を行うとしている。監督の継続は重要である。同時に、社会が結果を読む習慣を持つことも重要だ。発表当日の数値だけを消費するのではなく、対象範囲を確認し、何が違反として確認され、どのような改善が求められたのかを読む。前年の資料や自分の職場の運用とも照らし、見えない仕事や偏りがないかを問う。こうした読み方は、労働問題を遠いニュースから日常の制度へ引き戻す。
長時間労働の是正は、誰かが我慢強く早く仕事を終える競争ではない。仕事をどこまで引き受けるのか、誰が負担を負うのか、休息をどのように守るのかを、組織と社会が明らかにする作業である。今回の監督結果は、疑いのある事業場に対する行政の確認であり、全国のすべてを表す調査ではない。それでも、確認された違法な時間外労働、賃金不払残業、健康障害防止措置、労働時間把握の問題は、時間を正確に記録し、業務を設計し直し、健康を後回しにしないという基本を、改めて突きつけている。数字の向こうにいる一人ひとりの生活を見失わないこと。それが、是正を持続する仕組みに変える出発点になる。
一次資料:長時間労働が疑われる事業場に対する令和7年度の監督指導結果を公表します、The psychosocial working environment: Global developments and pathways for action
